ライフコーチング長文記事

「自分探し」「私らしさ」「自己肯定」「ありのままの自分」これらの追求の果てにある落とし穴とは


「自分探し」

言葉というものは、持たされるイメージや、場合によっては意味までもが時代によって変わってしまうものでしょう。

この「自分探し」という言葉も例外ではありません。

ある時代では、ポジティブな捉え方をされていたこともあるようですが、現代ではどちらかといえば

「いつまでたっても腰の据わらない夢見がちな人が、どこにいるかもわからない理想の自分を追い求め続け、実際には何ひとつ事態が好転していないこと」

といった少々ネガティヴなイメージが持たれているようです。

実際問題として、いつまで経っても自分探しから抜け出すことができず焦ってしまうという人も多いようです。

とは言うものの、「現実や今の自分を直視して、地に足つけた生き方をしなさい」という提言に対してもなんだか賛同できず、ますます迷ってしまいます。

そんな自分が嫌で、いろいろ真面目に勉強し、状況を変えようとしてみるのだが、気が付いたら不満だらけの日常に戻っている、そんなことを繰り返してしまうという相談をよく受けます。

そこでこの記事では、

「自分」とはいったい何かについて考察した上で、抜け出せない「自分探し」の構造を明らかにし、正しく自分と向かい合っていく方法についてお伝えしたいと思います。

 

自分とは何か

自分とはいったい何か、私とはいったい何なのかという問いは、長くにわたって議論されてきた哲学的テーマの一つです。

歴史上その問いに対して様々な解が提出されました。

現代的な考え方としてここで採用するものは、

 

自分とは、自分に関係する重要な情報の集まりである

 

というものです。

たとえば、今この記事を読まれているあなたが「自分自身を説明してください」と言われると、どう答えるでしょうか。

職業、趣味、家族、収入、、、などなど、自分にとって重要な情報を列挙することで、説明を試みようとするのではないでしょうか。

いや、自分とは◯◯という名前であり、それが自分そのものなのだという方がいらっしゃるかもしれません。

しかし、少し待ってください。

その名前は、単なるラベルであってあなた自身ではありません。

名前ですら、自分に関係する重要な情報のひとつなのです。

このように、自分のことを説明しようとすると、どうしても自分に関係する重要な情報を列挙するしかないのです。

では、そういった自分に関係する重要な情報の中心には何が存在するのでしょうか。

何も存在しません。

そこには自分という存在はないのです。

しかし、実体としての自分はなくても、機能(働き)としての自分のようなものはあります。

どのような働きかといえば、この宇宙の情報すべてを、自分にとって重要な情報とそうでない情報に並べ替えていく働きです。

この働きの結果、自分にとって重要な情報が定まり、それらがなんとなく寄り集まったひとつの状態が自分という存在なのです。

この説明を聞いて、わたしはそんな難しそうなことしていませんと思う方もいるかもしれません。

しかし、どんな人も必ずこういった成り立ち方をしているはずなのです。

現に、あなたを説明してくださいといったときに、まっさきに氏名や職業をあげるではありませんか。

フランスに住んでいるピエールさんの同じ身体的構造を持つ一人の人間ですとは言わないでしょう。

それは、フランスに住んでいるピエールさんの情報よりも、氏名が職業が自分にとって重要だとどこかで判断しているからでしょう。

このように、自分とは、重要な情報とそうでない情報を並べ替える働きの結果であると考えることができます。

 

自分はあるとも言えるし、ないとも言える

さて、このようなある情報処理主体にとって重要なものとそうでないものに分ける働きを「自我」と呼びましょう。

自我の持つ働きによって選別された重要な情報がなんとなく寄り集まった状態こそが自分であるとわかりました。

ところで、この「なんとなく」というのがポイントです。

自分のことを説明してくださいと言われたとき、氏名や職業を答えることには、何の違和感もありません。

出身大学や、好きな料理、付き合っている人のことなども、まあ問題ないでしょう。

しかし、自分を説明してくださいと言ったとき、以前付き合っている人のことを説明されたどうでしょうか。

すこし怪しくなってきます。

小学校に嫌いだった給食のメニューなどはどうでしょうか。

あるいは、その給食を作った人のことはどうでしょうか。

ここまでくると、自分のことを説明する内容としてはふさわしくない気がしてきます。

しかし、重要なものと間違いなく関連する情報ではあります。

こうしてわかることは、突き詰めていけば世界中の情報はあなたと関係を結ぶことができるという事実です。

このように情報が互いに関連しあってこの宇宙を形成している様子、あるいは、そのような関係によって存在が生まれる有り様のことを釈迦は「縁起」と呼びました。

この宇宙が情報の網の目によって形成される「縁起」であるとしたら、どこまでが自分であって、どこまでが自分でないかは究極的にはわかりません。

だからこそ「なんとなく」という表現を使うしかないのです。

重要だと思われる情報がアナログな連なりを形成し、なんとなく境界線が生まれて成り立っている状態が自分であるということです。

また、状態である以上それは固定的なものではありません

実際問題考えてみればわかりますが、自分のことを説明してくださいと言われたときの答えは、昨日と今日では違ったものになるでしょう。

もっと細かく言えば、それこそ一瞬ごとに変わっているはずです。

細胞レベルで言えば、一瞬ごとに生まれ変わっていっているからです。

直接的に感知できるかどうかは別として、身体が無意識に重要だと判断しているものは常に変わっているといえるでしょう。

このように、自分という状態は実にダイナミックであり、変動していくものなのです。

だとすると、自分に対する多くの悩みはナンセンスであるとわかります。

 

自分は奥手だから

自分は暗いから

自分は貧乏だから

自分は頭が悪いから

自分は彼女に振られたから

 

だからダメだと続くこういった悩みが悪いことだとは思いませんが、実際に悩んでいる人は多いのも事実でしょう。

そしてその悩みの根本は、こういった自分は変えることが困難である、あるいは変えることができないと思い込んでいる点にあります。

しかしながら、自分とはそもそも動的であり、ダイナミックに変動していくものなのだから、放っておいても一瞬後には違う人になっています。

それでも悩むということは、わざわざその必要もないのに一瞬後も自ら悩みをコピーし、固定した状態を作り出しているだけなのです。

まさに自分で悩みを生み出し続けているナンセンスな状態です。

本質的には自分で作り出している悩みであっても、それを自覚することなく、意識の上では自分を変えたいと思うものだから、今とは違う「自分探し」にいそしむのでしょう。

そして

「ありのままの自分を受け入れる」

といった聞こえのいい言葉に騙されて、なんとなく満足したような気持ちになってしまうわけです。

先ほどの説明からもわかるように、ありのままの自分なんて存在しません。

すべての情報は一瞬ごとに生まれ変わり、当然のことながら自分という状態も時々刻々と移り変わる状態のことだからです。

だからこそ、わざわざ自分にとって本当は望ましくない自分を「ありのままの自分」などといった綺麗な言葉で受け入れようとせず、好きなように変えればいいのです。

奥手な自分がいやなら、積極的な自分になればいいし、暗い自分がいやなら明るい自分になればいいのです。

その大前提は、自分とはダイナミックに変わる動的な情報の状態であり、いくらでも変えられるということを心から受け入れることです。

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自分らしさはどこからやってきたか

とはいえ、現段階における支配的な自分があり、現実的にそれがなかなか変わりにくいのは事実です

この場合の支配的な自分とは、何を重要だと判断するかの自我の働きが、ある程度固定されてしまっているということです。

よく考えてみれば当たり前の話です。

たとえば、昨日まで「何よりも金が大事だ!」という重要性を持っていた人が、いきなり「金なんかよりも大切なものがたくさんある」と言い出したり、その逆のようなことが続出すれば、社会は大混乱に陥るでしょう。

ということで、自分とは、突き詰めて考えていけばダイナミックな情報状態なのですが、実際問題としてある程度維持される、というのが正確な表現のようです。

ところで、このときの自我は、どのようにして出来上がったのでしょうか。

コーチングでは、過去に入ってきた外部情報に反応することを繰り返した結果生じたパターンの集積として出来上がる、と考えます。

少し難しい表現ですので説明しましょう。

私たちにはマインドがあります。

マインドとは「脳と心の働き」のことです。

五感を通じて情報を刺激として受け取った私たちのマインドは、その中でなんらかの計算が行い、判断や行動といったかたちで反応をします。

たとえば、母親が怖い顔をして殴ってきたという経験があったとします。

そうすると子供であるあなたは、五感を通じて母親が殴るという情報をマインドに取り込み、恐怖や不安を感じるという反応をするとともに、涙を流す、震える、叫ぶなどといった肉体的反応もします。

このときの反応のありかたを決定しているのが、マインドの働きなのです。

ところで、さきほどの例が繰り返されると、どのようなことが起こるのでしょうか。

なんども母親に殴られ、恐怖を感じるといったパターンを繰り替えいると、どんどんとそういったマインドの働きが強化されていきます。

やがてはそのパターンは抽象化され、母親の顔を見ただけで恐怖を感じたり、あるいは目の前でまったくの他人である子供が親に叱られている風景を見るだけで、わなわなと体が震えてきたりするようになります。

そういう人にとっては、母親を怒らせないことや、他人がもめているところから遠ざかることが極めて高い重要性を持つようになるわけです。

この例はいささか極端なものですが、このように私たちの自我は、過去の情動的な記憶をもとに形作られていきます。

つまり、私たちが通常自分と呼んでいるものは、過去、外部から偶然入ってきた強烈な記憶によって出来たパターンの無限とも思える集積の結果であるということです。

 

さて、このような人が自分らしさを求めて、自分探しを徹底していくとどういうことになるのでしょうか。

現在の自分、つまり現在の自分にとって重要なものを真剣に尊重すればするほど、過去の偶然によって出来上がった記憶の檻に閉じ込められることになります。

過去に偶然接触した情報は、決してあなたが望んで取り込んだものではないはずです。

それどころか、あなたをなんらかの形で縛ろうとする内容だったケースが多いはずです。

常識という名を借りて、あれをやってはいけない、これをやったら罰を受けるという経験をたくさん浴び、現在の重要性が出来上がりました。

それもこれも、親、教師、大人、社会、権力といった外部が、それぞれの都合に合うようにあなたを縛ろうとしたがゆえなのです。

だから、たいへん皮肉なことに、自分らしさを追求し、「ありのままの自分」などを肯定すればするほど、過去に自分を縛るべく外部からやってきた(つまり他人の)重要なものの奴隷になっていくという事態が生まれてしまうのです。

 

自分探しの人は何に悩んでいるのか、何が辛いのか

そういう人は幸せなのでしょうか。

幸せだという人もいるかもしれません。

しかし、その幸せですら、その状態が幸せだという外部情報によって作られたものである可能性が高いでしょう。

自分が死の淵に瀕したとき、本当に心からこの人生でよかったと確信を持って思えるような生き方をしている人はとても少ないのではないでしょうか。

また、自分探しを延々やっている人はまだましなのかもしれません。

何かがこのままではよくないということはわかっているからです。

過去の外部情報の奴隷状態である自分のことが、無意識ではわかっているために、いつまでたっても満足感が得られないという状況なのでしょう。

ただし、そのような過去の外部情報によって作られた重要性に囚われたままで、いくら自分を解放するようなことをやったとしても、やはりいつまでも満足は得られません

その結果どのようなことが起こるかといえば、いわゆるセミナー難民などが生まれます。

なんらかのセミナー等で、

「これで本当の自分に出会えた!」

という一時的なカタルシス、高揚感を得たとしても、結局は過去の重要性の奴隷を脱していないため、時間とともにやっぱり何かが違うと感じ、次の方法を探しにいくわけです。

これでは、いつまでたってもその人は本当の満足を得ることはできないでしょう。

大切なのは、現在出来上がっている過去の外部情報をベースとした自分にしがみつくことではなく、未来の望ましい自分を前提に、今の自分をぶち壊すプロセスの中に入っていくことです。

言い換えれば、マインドの働きそのものが変わるような体験に入るということです。

その中で過去の重要性から自由になり、本当にこれだと思うものに出会っていくことが必要なのです。

 

ありのままの自分を追求する人のリスク

ところで、過去の外部情報ををもとにして出来上がった自我に基づく「ありのままの自分」を追求ばかりしている人は、別の意味でもリスクがあります。

それは、人にコントロールされ、いいようにされてしまうということです。

先ほども述べたように、「ありのままの自分」を追求する人が本来やらなくてはならないのは、未来の望ましい自分を前提として、今の自分を否定し、徹底的に自己決定に基づいた新しい自分らしさを作っていくことです。

それができていないということは、本当の意味での自分がないままであるということです。

その一方で何かおかしい、どうにかしたいと思っているものだから、目新しく思える自分のモデルに出会うと、途端にそれに心酔してしまいます

ちょうど真空状態のところへ、空気が急に入ってくるようなものです。

「これこそがあなたにとっての本当の自分なのです」

という魅惑的なメッセージとともに、ようやく本当の自分に出会えたと思い込みます。

だいたいそういう場合は、その「メッセージを発した人にとって都合の良い本当のあなたらしさ」というものだと相場が決まっています。

結局その人にいいように使われてしまうのです。

これでは、単なる過去の外部情報によって作られた「ありのままの自分」を追求してる日々の方がまだましだったのかもしれません。

主観的にはやりがいのある日々で幸せに感じているのかもしれませんが、この文章を読んでいるあなたがそうはなりたいと思わないはずです。

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私たちはどのように自分らしさと向き合うべきか

では、具体的にどうしていけばいいのでしょうか。

コーチングでは、ここまでに述べたような状況に対する攻略法が用意されています。

それがゴール設定です。

ゴール設定には、いくつかの守るべきルールがあります。

その代表的なものが、ゴールは現状の外側に自分で設定するというものです。

この場合の現状の外側とは、いったいどういうことでしょうか。

これまでの中で確認した問題から逆算してみればその意味が見えてきます。

すなわち、過去の自分らしさの枠組みの中ではなく、その外側に新しい自分らしさを設定するということです。

言い換えれば、現在の自我の重要性からは自然には出てこないような、新しい重要なものを選択し、ゴールとするということです。

これは「本当の自分」や「私らしさ」にこだわり続けていた人からすれば、徹底的な自己否定でしょう。

しかしその自己否定は、決して自己評価を下げるようなものではありません。

むしろ自己評価は同時に上げる必要があります

なぜなら、それまでの自分であれば想像もしなかったようなスケールの大きなゴールであったり、それまでの自分であれば縁もゆかりもないだろうと決めつけていたようなゴールを設定し、実際に目指す必要があるからです。

そのようなプロセスは、根拠はないけど自分にはできるんだという種類の自己評価を上げていくことが大切なのです。

とにかく、そのような

スケールの大きなゴール

自分には縁もゆかりもないと決めていたゴール

という過去の重要性から解き放たれたものを自分で設定する必要があります。

そして、それに向かっていくことで、過去の重要性から出来上がった自分らしさから解放され、新しい自分らしさが出来上がっていくことが期待されるのです。

 

新しい自分らしさすらも超えていく

さて、これでめでたく新しい自分らしさを手に入れられました、となるのでしょうか。

残念ながら、そうはなりません。

まずその説明のために、対象を認識するには、知識が必要であるという事実を押さえてください。

たとえば、今私はmacのノートパソコンでこの文章を書いていますが、このmacのノートパソコンも、そもそもノートパソコンがなんであるかという知識がなければ認識することができません。

今となってはそんな人もいないでしょうが、40年くらい前の人が今の私を見て、一体何を用いて、何をやっているのかまったく想像できなかったはずです。

それは、端的にパソコンという知識がなかったからです。

この事実をさきほど合意した、ゴール設定にあてはめてみましょう。

過去の偶然出会った情報が作り上げた自我の重要性を否定し、新しい自分らしさを自分で作り上げるべく、あなたは現状の外側のゴールを設定しました。

では、そのときのあなたが認識した、「現状、外側、ゴール」という対象は何によって得られたのでしょうか

なんと、あなたが過去に獲得した知識です

そしてその知識は、過去、偶然出会った情報によって構成されています。

これでは堂々巡りです。

せっかく過去の重要性の外側に新しい重要性を作ろうとしても、その判断基準そのものが過去の重要性の影響を免れえないということです。

それでは、私たちは永遠に過去の呪縛から逃れられないのでしょうか。

そんなことはありません。

過去の自分らしさを否定し、新しい自分らしさを作るという決意は、過去の自分らしさの枠組みの外側からなされたものであるはずです

過去の自分らしさを対象化し、外側から眺めるという視点の獲得なしにはそのような発想は生まれ得ないからです。

もちろん、その視点を獲得したからといっても、あいかわらず判断の拠り所のほとんどは過去の情報です。

しかしその中にあって、過去の枠組みから外に出るという強い意志こそが、過去の枠組みの外側にある新しい知識を少しだけあなたに見せるのです。

その知識は、当初は微かなものかもしれません。

しかしながら、その知識をもとにゴール設定を再度行います

そのゴールは、当初のゴール設定よりはいくぶん過去の重要性から解放されたものになっています。

このようなサイクルに参入し、繰り返し続けることで、あなたの中の重要性は、過去の外部情報が作り上げたものから、だんだんとあなたが自分で主体的に作り上げたものへと成長していきます

コーチングとはこのようなプロセスに参入するためにテクニックの束と理解することもできるでしょう。

そもそもどこにもないあなたは、他ならぬあなた自身が創出していくべきなのです。

 

コーチングの創始者、ルー・タイスは次のように言いました。

All meaningful and lasting changes and growth starts on the inside first, and work its way out.

すべての意味のある永続的な変化と成長は、内側に始まり、外側へと広がる

 

本来どこにもいない自分を過去や外側に探すことはもうやめて、正しい方法で自分の内側を見つめ、自分で自分らしさを作るという発想を持ちましょう。

 

まとめ

過去の重要性に基づく自分らしさをいくら探しても、いくら受け入れても意味がないどころか、ますます過去に縛られる可能性すらあるということでした。

それよりも、正しく内面を見つめながら、ゴール設定と更新を繰り返す中で、新しい自分らしさを自分で作り上げていくプロセスに入ることが重要であるということでした。

参考になりましたら幸いです。  

「自分探し」「私らしさ」「自己肯定」「ありのままの自分」これらの追求の果てにある落とし穴とは” への2件のフィードバック

  1. 全ての記事を読みました。非常に分かりやすいし、科学的です。
    そして、なにより私は写真がとってもすきです。
    今後も楽しみにしています。

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