「人のために」なることなんて即やめなさい


苫米地式認定コーチ, TICEコーチの高嶋芳幸です。

 

「人のためになることをしたい」

 

私のもとに相談に来られる方の中には、そのようにおっしゃる方がいます。

そして実際に、その人の思う人のためになるような行動をとっているようです。

また、「人のために」を大きく前に掲げて活動している方も多くいます。

では、そういった人達がハッピーになっているかといえば、必ずしもそうではないように見えます。

これは何も私の主観ではなく、その後そういった人がどのように感じるかを聞いてみると、

「人のためになるように一生懸命やっているのに報われない」

という内容に集約されるからです。

さらに、これはあくまで主観ですが、どこか不自然に感じるそういう「人のため」には、実際、相手のためにもなっているようには見えません。

なぜこんなことが起きるのでしょうか。

そこでこの記事では、

「人のためになることをしたい」

「人のためになることはいいことだ」

「人のために私はこういうことをやっている」

「人のためになることをやっている自分は正しいのだ」

などといった宣言に対して、

「本当にあなたの言う『人のために』は正しいのか」という視点を提示したいと思います。

 

「人のために」の脳の仕組み

まずは脳の仕組みの話から入りましょう。

人間が進化を遂げた結果獲得した脳の部位に、前頭前野と呼ばれるものがあります。

前頭前野はちょうどおでこの裏側にあたりにあり、そこではおおまかに分けて二つの機能が作用しています。

一つ目の働きは、論理的に物事を考えることであり、二つ目の働きは情動的に物事を感じることです。

それぞれの働きの対応箇所は、前頭前野外側部前頭前野内側部と呼ばれます。

前頭前野外側部の論理的に考える働きというのは、物事を推論したり、計画したりといった人間の知的活動全般に関わる機能であるといえます。

一方、情動的に物事を感じるとはどういう働きでしょうか。

実はこのときの「情動的」とは一般にイメージされるような単なる感情の動きとは違います。

一般にイメージされる感情の動きとは、扁桃体と呼ばれる部位が機能した際に生じるもので、生命維持の本能に直結した、個人的、利己的な感情のことです。

前頭前野内側部が働いた際の情動は、そのような自分の欲望だけに忠実な次元の低い情動ではなく、他人を含む広くみんなのことを思いやり、その成功を心から喜ぶことができる情動です。

こういった情動を、単なる自分のための欲求からくる情動とは区別して、社会的情動と呼びます。

 

社会的情動は教育によって強化していく

人間にはこのような社会的情動、つまり、他人のことを思いやり、その成功を心から願うような脳の働きが備わっています。

ところが、人間ならばこの機能が誰でも等しい水準で働くのかといえばそうではありません。

このことは、広く世の中を見回せば当たり前の話として理解できるでしょう。

自分の我欲だけにとらわれて行動しているように見える人の例を山ほどみつけることができます。

もちろん、そういう人で埋め尽くされてしまえば、社会は滅びてしまいます。

社会が滅びてしまえばいいかどうかはここでは議論しませんが、まあ、よくないことでしょう。

だからこそ、必ずしも自然に獲得できるわけではない社会的情動の働きを、私たち人間は後天的に学習していかなくてはならないわけです。

そのためには、子供に対しては教育(ここでの教育は親が分担するようなしつけの部分も含みます)の中でそういった働きかけを行い、大人に対しては、脳の仕組みを知的に理解してもらい再教育していく必要があるのです。

とにかく、どこまで達成しているかは別として、人間には人の役に立って嬉しくなるという脳の働きが実際にあるということはお分りいただけたと思います。

 

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スコトーマとは認知的盲点のことである

ここでひとつ、コーチングの概念を導入したいと思います。

スコトーマです。

コーチングを学ぶみなさんにとってはおなじみの概念ですが、少しだけここで説明しましょう。

スコトーマとはもともと生理学の用語で、人間の目の仕組み上、どうしても盲点になってしまう箇所のことを言います。

網膜には中で脳と直結した視神経が集中している箇所があり、その部分はちょうど穴上に盲点となってしまうのです。

コーチングの理論の中では、この用語の「盲点」というコンセプトを借用してを拡張し「物理的、情報的を問わず、認識できない物事、あるいはその領域」のことをスコトーマと呼びます。

このことから、スコトーマのことは「認知的盲点」と呼ぶこともあります。

たとえば、あなたはいまこの文章を読んでいる時、そばでごうごうと鳴っているエアコンの音をのことを忘れているはずです。

また、スマートフォンでこの記事を読んでいるとしたら、その際の手がスマートフォンに触れている感触も忘れているはずです。

私がこのように書けば、それらは再び認識に上がったはずですが、それまでは認識の外側に追いやられていたでしょう。

決して聞こえていない、感じていないわけではないのですが、人間の脳はそのように特定の認識を隠したりするのです。

このような認識の外側を前提とした、その対象、作用、領域のことをスコトーマと呼びます。

 

なぜスコトーマが必要なのか

では、なぜスコトーマができるのでしょうか。

人間には、重要性に基づいて情報を認識し、重要なものには意識を向け、そうでないものには意識を向けないという性質があるからです。

あなたがもしカフェの店員だとしたら、街に新しくできたカフェが比較的容易に認識にあがってくるはずです。

それはあなたにとって、カフェが重要なものだからです。

重要なものが決まるということは、相対的に重要ではないものも決まります。

大事だと感じているものに関する情報は欲しいでしょうが、そうでもないものに関する情報がぽんぽんと自分の中に入ってきては困ります

そこで大事でない情報はスコトーマの中に隠してしまい、認識に上げなくしてしまうのです。

先ほどの例でいえば、この文章を読んでいるのに(大事なこと)、いちいちエアコンの音(さほど大事ではないこと)が意識に上がってきては邪魔で仕方がないでしょう。

このように、人間の脳は極めて自然なこととして、極めて容易にスコトーマを作るのです。

 

正しさを作り出す

さて、人のためになることをしようと思っているのに、なかなかハッピーになれない人の脳内はどのような状態なのでしょうか。

人間の脳の仕組みからすれば、人のためになることを心からやりたいと思っていればハッピーを感じられるはずでした。

にもかかわらずハッピーではないということは、社会的情動を感じるような正しい形での「人のため」をやれていない可能性があります。

そして、おそらくこの場合、「人のためにやる」という行為を行うことで何か大きなスコトーマを作っていると考えられます。

このときのスコトーマとして一番考えられることはなんでしょうか。

それは、自分に目を向けるということでしょう。

人という他者にフォーカスをすることで、自分にフォーカスをすることをスコトーマに隠してしまっているということです。

もしかしたら、「人のためになることをする」と言っている人は、そういうことをやることで、自分を褒めてもらいたいという欲求が強くあるのかもしれません。

あるいは、人よりも優位に立ちたいという欲求があるのかもしれません。

コーチングの世界では、これらはいずれも自己評価の低さに起因すると考えます。

自分を自分でしっかりと評価できていれば、本来であれば他者の評価など不要なはずです。

もし、それができていないのであれば、そのような自己評価の低い自分を観察し、自分の望ましい方向へと淡々と改変していくことがよいはずです。

そしてそのツールとして、コーチングの理論は大変すぐれたものとなっています。

しかし、自分を冷静に観察することが難しく、それを避けたいものだから、わざわざ他者にフォーカスをし、自己観察や自己改変の作業をスコトーマに入れてしまうケースは多く見られます

その上そこに、「人のためになることをやる」という社会通念上「良いこと」とされている建前が入り込むことで、ますますその行為の正しさが保証され、スコトーマが強くなってしまいます

ますます自分が見えなくなるということです。

あるべき「人のため」とは社会的情動がしっかりと働いている状態のことでした。

しかしこれでは、自己観察を避けたいという扁桃体優位の我欲のために、社会的に良いこととされている「人のため」を表面的に利用しているだけにすぎません。

このような「人のため」を繰り返せば、周囲は混乱し、本人もますますハッピーから遠のいてしまうことでしょう。

当たり前ですが、本当に意味で人のためになることなんてできるわけがありません。

 

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抽象度とは何か

では、そういった状況に対して、どのように考えていけばいいのでしょうか。

コーチングには、抽象度という概念があります。

難しい定義はここでは書かず、ここではその運用を実際に見てもらうことで、この概念を理解していただきたいと思います。

まず、目の前にコーヒーと紅茶があると想像してみてください。

湯気が立ち、辺りには香りが立ち込めています。

このまま想像をめぐらすのもいいのですが、概念としてのコーヒーと紅茶について考えてみて欲しいと思います。

これらの共通点はなんでしょうか。

むろん、いずれも飲み物です。

いま、思考のプロセスをたどったように、二つ以上の物事の共通点を引き出した上で、それらの物事を包含した概念を作り出すプロセスを抽象度が上がったといいます。

このときの抽象度とは、視点の高さそのものでと考えることができます

たとえば、会社組織を考えてみましょう。

平社員は業務を平社員という視点でしか見ませんが、平社員全体を包含する課長は、業務を「平」のひとつ上の抽象度の「課」全体の視点で眺め、判断を下します。

もちろん実際にそのような平社員、課長ばかりではないでしょうが、少なくとも役割としてはそのようなことが期待されるはずです。

このように、抽象度が上がるということは視点が上がることそものもなのです。

 

視点を上げて「人のために」を観察する

人のためにやっているのに何だかうまくいかない、そのような人は、その「人のために行っている」の「人」という他者をひとつ上の抽象度から観察するとよいでしょう。

他者だけのフォーカスするのではなく、他者と自分をひとつ上の抽象度から同時に観察する視点を作り、眺めてみるということです。

そうすることで、「人のためにやっていること」に対する様々な仮説が浮かび上がってきます。

 

・それは本当の意味で人のためになっているのか、自分がそうしたいからといって、かえって相手の成長を奪っているのではないか

・人のためになっているかもしれないが、自分を不幸にしていないか

人のためにと口で入っているが、ほんとうは自分と向かい合うことから逃避しているだけではないのか

・人のためにを自分を正当化する錦の御旗にしてしまっているのではないか

・人のためにという反論し難い建前をかかげることで、周囲をコントロールしようとしているのではないか

・人のためにということで、褒められること、評価されることを期待しているのではないか

 

このように、自分と他者をひとつ上の抽象度から見れば、「人のために」がもしかしたら正しくないかもしれないという視点がたくさん出てきます

もしこういったところが自分にあるとしたら、それは本当の意味での人のためではなく、結局のところ自分のためであるということでしょう。

 

常に高い視点から自己、他者、状況を確認しよう

そのような自分を発見してしまったとしたら、一体どうすればいいのでしょうか。

まずは発見したことを素直に喜べばよいでしょう

発見したからこそ、この先良い方向へと変えることができるからです。

そこでわざわざ自己評価を下げる必要はありません。

そして次は、「人のためという建前でさまざまなものをスコトーマにしてしまっているなんて、自分らしくない、次はしないぞ」と解釈を与えます。

基本的にはこれを繰り返していくだけです。

私たちはつい、「人のため」、「利他」、「組織のため」、「みんなのため」、「あなたのため」という言葉に騙されてしまいます。

他人から言われても騙されてしまいますし、恐ろしいことに、そういった言葉で自分自身を騙してしまうことすらあるのです。

それは私たちが、人のために何かすることが本質的には正しいことであり、大きな喜びを生む素晴らしいことだと強く実感しているからでしょう。

だからこそ私たちは、抽象度を上げ、自己と他者をダイナミックに観察し、状況を見ながら、より望ましい方向へ進むように瞬間ごとに判断していく必要があるのです。

そういったアプローチを繰り返すことで、自分のための「人のため」は、だんだんと本当の意味での「人のため」となっていくでしょう。

やがて、大きな幸福感を感じられるようになるはずです。

 

まとめ

「人のため」に一生懸命なのに、なぜだかハッピーになれない、なぜだか周りに満足を与えられないという状況について書かれた記事でした。

「人のため」という反論し難い建前を掲げることで、自分や状況をスコトーマに入れ、観察できていないからこそ本当の意味での「人のため」ができていないということでした。

抽象度を上げ、高い視点から観察を繰り返すことで、少しづつ本当の意味での人のためになることを行えるようになるべきであるということでした。

参考になりましたら幸いです。

 

文章力講座〜多くの人に届く文章の設計方法

 

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苫米地式認定コーチ、TICEコーチの高嶋芳幸です。

ブログで記事を書いている人は、できるだけ多くの人に記事を読んでもらい、できるだけ多くの人に共感をしてもらいたいと思っているのではないでしょうか。

もちろんそれは、ブログの記事に限らず、読者に読まれることを想定したあらゆる文章においても同様でしょう。

実は、多くの人に共感してもらうための文章を書くためにはコツがあります。

そこで今回は、文章力講座と称して、多くの人に届く文章の設計方法を公開したいと思います。

ちなみに、ここでいう共感とは、論理的に深く納得してもらうことを指します。

単に大多数の意見に迎合することではありません。

むしろ結論は大多数の意見とは違った視点になることが必然であり、それでもなお説得力を持たせるための技術を公開します。

この記事を読んでもらえれば、自分の視点をしっかりと提示しつつ、多くの人が思わず納得せざるを得ない文章を書くヒントになるはずです。

 

参考記事

わたしの記事に、「職場の人間関係に疲れた人が意識するべきたったひとつのこと」というものがあります。

この記事は、職場で起こりがちな人間関係の摩擦を例にあげ、その根本的な原因と解決方法について解説したものです。

わたしが普段意識している文章設計術に基づいて書かれた、典型的な記事です。

なので、この記事を例として分析する形で、今回の記事を書き進めたいと思います。

未読の方はぜひご一読の上、この先を読み進めてください。  

 

問題発見

文章を書くことは、世の中の問題を発見するところからはじまります

問題というとなんだか大袈裟な気がしますが、誰かが困っている具体的なこと、くらいの理解で問題ありません。

なんらかの主張を提示する文章は、基本的に問題を発見し、自分なりの解決方法を提示することによって成り立っています。

だからこそ最初の第一歩は問題発見なのです。

「職場の人間関係に疲れた人が意識するべきたったひとつのこと」では、以下のように問題を提起しています。  

 

 

職場の人間関係のストレスの結果、病気になってしまったり、仕事をやめてしまったりという話をよく聞きます。

本来なら、仕事は人生における要素のひとつに過ぎません。

ですが多くの人にとって、仕事が人生において重要な位置を占めているのも事実です。

ということで今回の記事は、職場の人間関係を改善させる方法について書いてみたいと思います。

 

タイトルからもわかるように、職場でストレスを感じてしまうような人間関係をどうにかできないものか、という問題意識がこの記事のスタートです。

問題を探す際のコツですが、なるべく多くの人が困っているであろうことを選ぶとよいでしょう。

たとえば、「スニーカーの紐を結ぶのが嫌で嫌でしょうがない、どうしましょう」という問題を設定したとしても、あまり多くの人には役に立たないでしょう。

あえてニッチな問題を取り上げ、それを一般化するという手法もありますが、今回の記事の趣旨とは違ってくるのでここでは取り上げません。

とにかく、「職場の人間関係に困っている」のように、ある程度多くの人が直面していると予想される問題を発見するべきでしょう。  

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一般的な解決方法を探る

次に行うのは、取り上げた問題に対して、世の中はどのような解決策を提示しているかをリサーチすることです。

もちろん自分の中の予想でも構いませんが、今はインターネットでいくらでも調べられるので、多くの人がどのように考えているのかを一度調べてみるのがよいでしょう。  

ネット上では、「職場の人間関係」の解決策には以下のようなものがありました。  

 

・あいさつをする

・相手を無視しない

・悪口を言わない

・返事をする

・話し合う

 

こういった問題解決方法を列挙して、よく観察します。

視点をひとつあげてみると、これらがある共通項でくくれることに気がつきます

実際に「職場の人間関係に疲れた人が意識すべきたったひとつのこと」では、次のような視点を提示しています。

 

いまあげた方法をみてもらうと分かると思いますが、コミュニケーションを円滑に進める、というのが基本的な改善方法です。

 

このように、世の中の多くの人間関係改善法は、コミュニケーションを円滑に進めるという観点から出されているということがわかりました。

この段階では、一般的な解決方法をしっかりと踏まえることが大切です。

 

炎上

少し話が逸れますが、ネットよく見られる「炎上」の仕組みについて書いてみたいと思います。

炎上とは、自分の主張がネガティブな評価とともに急速な勢いでネット上に広がることです。

実は、炎上を起こすのはさして難しいことではありません。

世の中のよくある意見をとりあげ、真逆の意見を提示しつつ、もとの意見を徹底的にこき下ろせばよいのです。

さきほどの人間関係改善法の「あいさつをする」という意見から考えてみましょう。

真逆の意見は「職場の人間関係に困っても、あいさつなんてすべきでない」というものです。

「なぜ自分を追い込む人間に媚びるようなことをしなければならないのだ」とか、「あいさつをすべきだという根拠はそもそもない」とか、「あいさつなどできなくても、職場では本来仕事の生産性のみで評価されるべきだ」とか、その根拠はいくらでも作り出すことはできます。

だから、「職場の人間関係」に困ったときに、「あいさつをしよう」なんてのんきなことを言っているやつはバカだ、現実をわかっていない愚か者である、などと結べば良いのです。

そうすれば、一定数の人は必ず反応し、それの数が多ければやがて炎上と呼ばれる事態となります。

これは、世の中の多くの意見は相対化できる、つまり、反対意見を提出することができるという性質を利用したものです。

そして、想定した意見(あいさつをすべきだ)が、誰にも簡単に理解でき、常識的で、かつ良いことだろうと思われがちなことがポイントです。

このような炎上的な文章の構築方法は、単純な反対意見を提出することにより、議論を活性化させるというメリットはあるものの、多くの場合不毛な罵倒合戦になってしまいます

罵倒しあったのち、結論が出ないままになってしまうことがほとんどです。

イメージとしては「朝まで〜〜」でくり広げられている光景のような感じでしょうか。

 

視点を上げて批判する

さて、話をもとにもどしましょう。

職場の人間関係に困ったとき、多くの解決方法はコミュニケーションを円滑にするという意図をもつものでした。

次のステップは、この考えを批判的に検討していきます

わたしが想定した視点は以下のようなものです。 たしかにコミュニケーションを円滑にすれば人間関係が解決するかもしれない。

しかし、絶対にそうだとは限らない。

実際にあいさつをしても、人間関係が解決しなかった例は容易に想像がつく。

だとしたらこの問題は、そもそもなぜ人間関係は悪くなってしまうのかまでさかのぼって考えるべきなのではないか、というものです。

これは、すでに提出された多くの解決方法よりもひとつ上にある視点であると言えます。

こう考えることで、世の中の多くの解決方法は、人間関係を悪くする原因や、その解決方法に触れることができていないという批判的な意見を提示することができます。

この視点は、「炎上」を作り出す際の単純な反対意見とは根本的に異なるものです。

炎上における反対意見はあくまで同じ土俵の上の反対意見であるのに対し、ここで提出している視点は、ひとつ次元を上にあげた新しい視点であるからです。  

 

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批判に対する答えを出す

次に考えることは、世の中の多くの意見が解決できていない、「そもそもなぜ人間関係が悪くなるのか」という問いに答えることです。

「職場の人間関係に疲れた人が意識するべきたったひとつのこと」では、コーチングにおけるゴールという概念を導入し、ゴールの食い違いによって人間関係が悪くなるのだと主張しています。

ゴールとは、その人が心から達成したいとのぞむもののことですが、この場合は、「単純に目指している目標」くらいのことも含んで考えてください。

記事では、営業マンと部長の間の人間関係の軋轢を以下のように説明しています。  

 

 

あなたは出世するというゴールを抱き、そのために営業成績を上げる必要があると考え、実際に結果を出しました。 一見何の非もないように見えます。

ですがこのとき、部長が想定していたゴールはいったいなんだったのだろうか、と考えてみて欲しいのです。

仮に部長は、個人個人の成績をあげるということよりも、部内の結束を高めることに重きをおいていたとします。

だとしたら、営業成績を抜群に上げてしまったあなたは、ほめられるどころか、一人だけ勝手に行動しておいしいところどりをしたずるいやつだ、と判断されてしまう可能性すらあるのです。

 

この例のように、世の中の人間関係の問題は、互いのゴールの違いによって生じるのではないかという主張です。  

 

答えをもとにして改善方法を提出する

ここまでの流れをまとめてみましょう。  

問題提起(人間関係の問題がある)

一般的な解決方法(コミュニケーションを円滑にすることで解決するべき)を探る

一般的な解決方法を批判的に検討する(それだけでは解決しない、そもそもなぜ人間関係が悪くなっているかはわからない)

一般的な解決方法にはない視点の提供(人間関係が悪くなるのはゴールが食い違っているからだ)   となります。  

最後の段階でやるべきことは、一般的な解決方法にはない視点を用いて、実際に問題を解決できるように導くことです。

記事では以下のようなステップでそれを提案しています。  

 

1:相手と自分のゴールを観察する

2:お互いのゴールを含む、より大きなゴールを設定する

3:より大きなゴールという観点から相手と関わっていく

 

具体的に説明すれば、部長のゴールをしっかりと観察し、自分のゴールも部長のゴールも満たすようなより大きなゴールを設定し、それを実現できるような関わり方をする、という提案です。

こうして、はじめてに提起した問題に対し、既存の解決方法とは違う次元での解決方法を提出することができました。  

 

視点の移動は抽象度の操作

一連の流れを見てもらえるとわかりますが、はじめに提出した問題から常に行ってきたのは、視点の移動です。

この場合の視点の移動とは、目の前にある問題や意見をより外側から観察するというものです。

この問題はこう解決すればいいのではないか、この意見はまとめるとこういうことを言っているのではないか、この意見ではこういうことに対する答えが抜けているなど、外側から問題や意見を捉え、それぞれ解決できるような視点を探り続けます。

このような視点の移動は、抽象度の移動と呼びます。 問題や意見を批判的に検討していく作業は、抽象度をより高いところから観察していくという作業です。

抽象度が高い視点から出した意見は、それだけ本質的な解決策を提示することになります。

だからこそ、世の中にある問題をできるだけ抽象的な視点から眺めて解決することが必要なのです。

抽象度の低いところから出した意見は、あなたが地上に立ってボールを投げるようなものです。

ある程度までは届くでしょうが、あまり遠くまで投げることはできないでしょう。

抽象度の高い視点から意見を出すということは、高い空の上からボールを投げるようなものです。

それだけ遠くへと届く可能性を持っています。

この例からもわかるように、できるだけ多くの人に深く納得してもらう文章を書くためには、抽象度を高く移動させ、その上で意見を発信することが大切なのです。

 

まとめ

この記事では、多くの人に届く文章の設計方法について書きました。 抽象度を上げながら視点を移動し、その上で問題に対する答えを出す、というのがその方法でした。

参考にしていただけると幸いです。

 

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教育のプロが教える、頭がいい人が共通して持つ能力

 

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苫米地式認定コーチ、TICEコーチの高嶋芳幸です。

ある子供の指導を長期間していると、だんだんと頭が良くなっていく様子がよくわかります。

表面的には、話すことが大人びてきたり、テストの点が良くなってきたりと子供によっていろいろですが、本質的なところの成長はどの子供も共通です。

成長のポイントはふたつあり、ひとつは「抽象度の操作能力」、もうひとつは「知識の獲得能力」です。

これらが上手になればなるほど、どんどんと頭がよくなっていきます。 頭がいい人が持つ能力そのものであるといってもいいでしょう。

また、大人でも、この人は頭がいいなあと感じる人は、これらの能力が極めて高いと感じます。

この記事では、「抽象度の操作能力」、「知識の獲得能力」について解説し、頭がよくなるためのヒントを提示していきたいと思います。  

 

抽象度操作能力

抽象度とは

抽象度とは何でしょうか。

「希望の大学に合格した」という事実があったとします。

また、「大好きな人と結婚した」という事実もあったとします。 これらの共通点は何でしょうか。

「嬉しい出来事」とでも考えることができます。

次に、「嬉しい出来事」の横に、「悲しい出来事」を並べてみます。 これらの共通点は、「出来事」ということになります。

このように世の中の物事は、共通点の有無によって上下関係を作っていくことができます。

さきほどの例で言えば、あとにいくにつれてだんだんと上にあがっていくようなイメージです。

このような上下関係を抽象度といいます。  

 

抽象度を操作する

抽象度は操作することができます

操作というとなんだか難しく聞こえますが、実は頭の中では自然に行われていることです。

たとえばあなたが、「こないだ猫が車にひかれそうになってて、危ないと思ったら猫がジャンプして、車のボンネットに着地したんだよ。

すごいと思わない?」という話をしたとします。

気の置けない友人同士のあいだではいかにもありそうな会話でしょう。

実はこの何気ない会話の中では、抽象化が起こっています。

起こった出来事の具体的な説明がはじめにあり、最後に「これはすごいことである」という抽象化が起こっているということです。

このように、抽象度の操作、つまり抽象度の上げ下げは、思考の中では極めて自然に行われているのです。  

 

抽象度の操作が上手な人は説明が上手

思考する際には自然に抽象度の操作をしていると言っても、それが上手かどうかは人によってバラバラです。

たいへん上手な人もいれば、そうでもない人もいます。 では、抽象度の操作が上手であるとはどういう状態なのでしょうか。

ひとことで言えば、状況に合わせて適切な抽象度が選択できるという状態です。

さきほどの会話が、「こないだ生き物が危ない目にあってて、とっさの行動をとったと思ったら、普通は起こらないような結末になったんだよ。

すごいと思わない?」という内容だったとしてみてください。 なんだかよくわからないでしょう。

前半の具体的な説明が、抽象的すぎて中身が想像できないからです。

このように、物事の思考や説明には適切な抽象度があります。

 

状況に合わせて適切な抽象度を見抜き、実際に抽象度を操作しながら思考や説明を進めていけることが、頭がいい人の条件であると言えます。

 

ものごとの本質をつかむ

抽象的な説明はわかりにくいという側面があるので、悪いことのように思えますが、実はそうとは限りません。

適切に抽象度の高い表現であれば、ものごとの本質をシンプルに表しているという良い側面があります。

たとえば、数学などはその代表例でしょう。 1 + 1 = 2 という式も、世の中にあるどのようなものであれ、一つのものと一つのものを足し合わせると、二つのものになるという本質的な原則を表現しています。

本質をシンプルに表現できれば、それを広い範囲に応用して使うことができます。

1 や 2 にどのようなものを入れても成り立つということは、それだけいろいろなことに使えるということでしょう。

ポストとポストを足せば、二つのポストになりますし、国と国を足しても二つの国になります。

このように抽象度の高い思考は、本質をつかむことであり、いろいろなことに応用した考え方ができるという側面があります。  

 

対機説法

ところで、仏教の概念で対機説法というものがあります。

仏の教えを聞いて修行する能力のことを機根といいます。

仏教では、相手の機根にあわせて教えを説くことが推奨されます。

そうでなければせっかくのありがたい教えも、相手が理解できなかったり、間違った理解をしてしまうからです。

この対機説法は、相手の抽象度に合わせて説明の抽象度を操作することであると言えます。

ありがたい教えは、抽象度が高く本質的なものであるはずです。

だとしたら、人によっては抽象的すぎてなんだかわかりにくいということになりかねません。

すべては無常である、と言われてもなかなかピンとこないでしょう。

だからこそ、その人の抽象度に合わせて説明してあげることが重要なのです。

抽象度があまり高くない人には、具体的なたとえ話をたくさん交えながら、段階を踏んで説法をしていきます。

事実、釈迦が語ったとされるたとえ話はたくさん残されています。

極めて本質的で抽象度の高い教えを、その人の抽象度に合わせてさまざまな教えが展開されたからこそ、大昔の教えがいまも残されているのです。  

この対機説法からもわかるように、頭のいい人とは、場面に合わせて抽象度の上げ下げを上手にする能力の高い人であると言うことができるでしょう。  

 

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知識の獲得能力

知識とは

知識とは何かについての哲学的議論には、たいへん長い歴史があります。

ここでは知識のことは、正しい認識のことであると理解しておけば良いでしょう。

ちなみに、知識そのものは情報化されたものですが、もう少し具体的な身体レベルで運用されるものを技術といいます。

その意味で知識と技術は、現れ方の違いこそあるものの、本質的には同じものであると言えるでしょう。  

 

知識が必要な理由

頭が良くなるためには、大量の知識を獲得する必要があります。

なぜでしょうか。

具体的に考えてみましょう。

この世界に、「りんご、バナナ、みかん」という三つの知識があったとします。 それらの共通点にくだものという名前をつけました。

上述した抽象化がひとつ起こったのです。

さて、ここに新しい知識「マグロ」が加わったとします。

そうすると、「りんご、バナナ、みかん、マグロ」の四つの知識を抽象化するには「くだもの」では不適切です。

だからそれら四つの知識を抽象化した共通点として、「食べ物」という名前をつけました。

このように、新しい知識を獲得することではじめて新しい抽象化が起こります。

裏を返せば、新しい知識を獲得することなしには抽象化が起こらないということです。

抽象化が起こらないということは、先にあげた抽象度を自由自在に操作するということができません。

できたとしてもたいへん貧しいものになります。 だからこそ大量の知識を獲得することが大切なのです。

 

スコトーマ

ここでコーチングの概念であるスコトーマについて説明したいと思います。

スコトーマとは、認識上の盲点、またはその中に隠れた知識のことを意味します。

わたしたち人間は、この世界をありのまま見ているような気になっていますが、実はまったくそんなことはありません。

それどころか、わたしたち一人一人がそれぞれまったく違う偏り方でこの世界を見ています。

たとえば、ある人が森の中を歩いていたとします。

その歩いている人が、いわゆる一般の人である場合と植物学者である場合では、見えている世界がまったく違うということは、少し考えれば分かるでしょう。

植物学者は植物に関する知識がたくさんありますから、この木はめずらしいなとか、この森は古くからあるなとか、さまざまなことに気がつきます。

ところが、一般の人は知識がないので、そういったことが認識にあがりません。

このような認識にあがらない知識のことを総称して、スコトーマと呼ぶことができます。  

 

新しい知識がある場所

さて、そうすると、新しい知識はどこにあるのかということがわかってきます。

その人にとっての新しい知識は、その人のスコトーマの中に隠れているのです。

ここで厳しいのは、スコトーマの中にあるものは本来認識できないという事実です。

さきほどの例のように、普通の人にとって、深い植物の知識はスコトーマの中に隠れています。

隠れているのだから、当然その知識を認識することはできませんし、場合によってはそこに新しい自分の知らない知識があるということにも気がつきません。

新しい知識を学ぼうと思っても、学べないことになります。 結果的に多くの人は、新しい知識を学ぼうと思っても、実は今までの自分の知識の中で新しいことを学んだ気になっているだけ、という状況に陥ってしまいます。

新しい知識を獲得するのはこのような構造的な難しさがあるのです。

 

学ぶことが上手な人

学ぶことが上手な人、言いかえると本当に頭のいい人とはどのような人でしょうか。

スコトーマに隠れた知識を学ぶことができる人である、と言うことができそうです。

たとえば、セミナーや講義をすると、「それはもう知ってる」という反応をする人がいます。

残念ながらこういった人は、学ぶことが上手な人ということはできません。

自分のすでに知っている知識をもとに、こちらの言っていることを知っていると判断した結果、もののみごとに新しい知識をスコトーマに隠してしまっているのです。

こちらが新しい知識を提示しているにもかかわらず、その人が認識の盲点に入れて受け取らないということです。

学ぶのが上手な人はこういう反応をしません。

常に自分にはスコトーマが存在し、そのスコトーマの中にこそ自分にとっての新しい知識があるのだとよく理解しています。

だからこそ、ものごとに対して「もう知っている」、「ぜんぶわかった」という早計な判断を下すことはしません。

もちろん、ほんとうにそう感じた時はそう表現しますが、よくわからないものに対して早計な判断をすることはないのです。

そのように判断をいったん停止し、スコトーマの中にある新しい知識を見ようとする態度こそが真に知的な態度であり、頭のいい人の能力でもあると言えるでしょう。  

 

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まとめ

この記事では、頭がいい人の持つ能力について説明しました。

一つ目は抽象度の操作能力であり、二つ目は新しい知識を獲得する能力であるということでした。

参考にしてくださると嬉しいです。

 

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