やりたいことだけをやって、楽しく前向きな人生を送っていくことがすべての人にとって理想であることに異論はないと思います。
ところが、やりたいことだけをやって生きるべきであるということを言うと、決まって「そんなに甘いものではない!」と言う人がいます。
しかしそれでも、人生においてはやりたいことだけをやるべきなのです。
この記事では、やりたいことだけをやることが正しいのかどうかを検証し、その上で、やりたいことが見つからないという人に対する考え方を説明したいと思います。
やりたいこととは何か
そもそもやりたいこととは何のことを言うのでしょうか。
人間にはそれぞれゴールがあります。
そう聞くと、自分にはそんな明確に目指しているようなものはありませんと思われるかもしれません。
しかしそういった人でさえも、最低限生命を維持するというゴールがあるはずです。
人には必ずゴールがあるという観点からいえば、やりたいこととはその人のゴールに合致した行動であるといえます。
ミュージシャンとして活躍したい人はギターを弾くことがやりたいことでしょうし、お金儲けをしたい人は経済学について勉強することがやりたいことになるでしょう。
やりたいことをやるべき理由
フォーチュン500という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これはアメリカの『フォーチュン』誌が年に一回発行、編集するリストであり、アメリカの企業を総収入に基づいてランキングしたものです。
そのフォーチュン500の企業を対象に、ハーバードビジネススクールとアメリカのコーチング機関TPIが行った試算によると、やりたいことを自由にやれる文化の企業のほうが、そうではない企業に比べ、実に756倍の利益率を叩き出したという報告があります。
当たり前の話ですが、人はやりたいことをやっているときにこそ、高い生産性を実現することができます。
高い生産性をあげられる人であるということは、それだけ社会に対して重要な役割を果たすことができているということです。
簡単に言えば、多くの人の役に立てているということです。 そのような状態であればこそ、人は心身ともに健やかに生きていけるのではないでしょうか。
全員やりたいことだけをやりなさいと言うと……
ということで、人は全員やりたいことだけをやるべきです。
しかし、こういうことを言うと必ず次のような反論をする人がいます。
「みんながやりたいことだけをやると、◯◯みたいな仕事をする人がいなくなるじゃないか! 全員がやりたいことをやりたいなんて非現実的だ!」
◯◯というのは、社会的に立場が低くて誰もやりたがらないと見られがちな職業です。
残念ながらこの反論は二重の意味で間違っています。
ひとつは、全員がやりたいことをやる社会の実現が難しいからといって、それを目指さない理由にはならないということです。
いうまでもない話ですが、仮に全員がやりたいことができていなかったとしても、一人でも多くの人がやりたいことをできている社会の方がいいに決まっています。
だったら、その実現を目指すのが当然なはずです。 もうひとつは、この発言が明らかな職業差別であるということです。
◯◯という職業は、確かに大変そうに見える職業ですが、中にはその仕事に対して誇りを持って誠実に取り組んでいる人もいるはずです。
そういった人たちの存在を無視し、安直に誰もがやりたがらない仕事の代表としてあげつらうのは職業差別でしょう。
論理的に考える力がある方なら、こういった反論は成り立たないということがすぐにわかるはずです。
とにかく、少しでもやりたいことをやって満足のいく人生を送る人が増えるのなら、やりたいことをやるべきであると主張していいのです。
自己責任
ただし、やりたいことをやるといっても、あくまでそれは自己責任に基づいて行われなければなりません。
やりたいことをやりなさいというと、「じゃあ殺人をやりたいという人がいたとしても肯定するのか」と子供のようなことを言う人がいます。 殺人には責任を持って対応することができません。
なぜなら、一度失われた命は永遠に修復できないからです。
だから殺人が肯定されるわけがないのです。
殺人まで極端でないとしても、やりたいからといって、自分できちんと責任をとれないようなことをやることは許されません。
社会に生きる一人の成熟した大人として、きちんと責任をとることのできる範囲内でやりたいことをおもいきりやりなさいということなのです。
やりたいことがわからない人のために
さて、やりたいことをやるべきであるということには合意していただけたと思います。
しかし、そのやりたいことが見つからなくて悩んでいる人は大変多いように見受けられます。
そこで、やりたいことが見つからない場合、どのように考えていけばいいのかについて説明していきます。
1:ゴール設定
やりたいことが見つからない最大の原因は、現状の外側にゴールがないことです。
やりたいこととはゴールに合致した行動のことであると先述しました。
だとすると、ゴールがなければやりたいことがあるわけがないのです。
自分が心から達成したいゴールが現状の外に見つかれば、そこにたどり着くのに必要なことすべてがやりたいこととして自分の眼の前に現れるはずです。
《※ゴール設定に関する詳しい解説はこちらを参考にして下さい→「コーチング理論から考える正しい目標設定の方法」》
2:仮のゴールを設定する
とはいえ、現状の外側の心からやりたいゴールを見つけることがうまくできないという人もいるようです。
この場合、どういう風に考えるべきなのでしょうか。
ゴールが見えない人は情報が足りていない
なぜ現状の外側のゴールが設定できないのかというと、現在持っている情報では判断するのに不十分だからです。
情報が足りないのなら、集めればいいということになります。
ここで注意していただきたいのは、現状の中で情報をいくらあつめてもあまり意味はないということです。
やりたいことを見つけるためにどうすればいいのかということについて書かれた記事に目を通してみると、このようなアドバイスが多くありました。
・過去分析
・自己分析
・市場分析
これらにまったく意味がないとは言いませんが、あまり効果はあがらないでしょう。
なぜならこれらは、現状の情報を前提に行うものだからです。
つまり、限られた情報しかもっていない状態でいくら分析をしたところで、限られた情報に詳しくなるだけだということです。
仮のゴールを設定する
では、どうすればよいのでしょうか。
ゴールを設定するというと、どうも完璧なものを設定しなくてはならないと感じる人が多いようです。
そしてこのことが、ゴール設定を難しくさせている要因のようです。
最初に設定するゴールは完璧なものである必要はありません。
ひとまず仮のゴールを設定することで、とにかく現状を出ざるを得ない状況を作りましょう。
この場合の仮のゴールは、現在のあなたでは選ばなそうなものである方が望ましいでしょう。
たとえば、体育会系のスポーツ文化で育ってきた人は、あえて茶道のような静かな文化のゴールを持ってみる、などです。
もちろんこの場合、できるだけ興味が持てるものの方がいいのはいうまでもありません。
また、仮のゴールなのですから、後になって変えることはまったくかまいません。
やりたいことが見えてくる
仮のものであっても、ゴールを設定してそのための行動を重ねると、そのプロセスの中でさまざまな情報に触れることができるようになります。
それは今までの現状の中にはない、本当に新しい情報です。
そういった情報をどんどんと自分の中に取り込むことで、やがてそれまででは思いもよらなかった新しいゴールが見えてくるはずです。
そういったことを繰り返すと、ある時これだと確信できるゴールに出会うことができます。
その時には、その達成のためにやりたくて仕方のないことがたくさん現れるはずです。
まとめ
この記事ではやりたいことをやるべきであるということについて書きました。
やりたいことが見つからない場合は、ゴールを設定すること、そしてそのゴールは仮のものでかまわない、ということでした。
とにかく、仮のものであってもゴールを設定し、行動を重ね、現状の中では見えない新しい情報に触れていくことが大切なのです。
参考にしていただけると幸いです。