コーチング

差別意識にコーチができること


昔の話でしたが、こんなことがありました。


ある女性が言っていたことです。

「私は男性に頼ることが嫌いなのです」

なぜですか、と言った私に対して彼女が言っていたのは次のようなものでした。

「女性として生まれ育ってこのかた、とても多くの差別にあってきました。たとえば、家でも女の子だからということで荒っぽい習い事はさせてもらえなかったし、学校でも女性だからということで教師に将来お嫁に行くことを前提とした進路を勧められました」

「そのたびに嫌な気持ちになりました。そして、男性に頼るということは自らの女性性を利用してうまく生きているような気がして嫌なのです。過去に嫌な気持ちになっていた自分に対して申し訳ないというか、そんな理由なのです」


この話に登場しているのは、この女性の家族、教師、当の女性、そして私です。

それぞれの脳内には、過去の記憶によって出来上がったフレームが存在します。

人間はフレームに基づいて物事を知覚、推論、意思決定を行います。

と同時に、そのプロセスが近接する他のフレームを呼び出し、そのフレームもプロセスに影響を与えます。

このように、思考とは、脳内情報処理の極めてダイナミックなプロセスであり、差別意識もその結果として生じるものだということです。

ところで、差別意識とはどのようなものなのでしょうか。

実はまだよくわかりませんが、現在の私の考えでは、二者間の関係性によって定義するアプローチから何か見えてくるのではと思っています。

しかし、これはあまり一般的なアプローチではないようです。

なぜならば、現代の日本社会は広い意味では西洋文化が入り込んでおり、そのため、物事の因果を個別の対象に還元した上で定義を作りたがる思考様式が一般的だからです。

さて、話をもとにもどすと、最初に上げた登場人物に対してコーチができることは何かと言えば、脳内情報処理のプロセスに介入することです。

もちろん登場人物が幸福になるためにという前提は言うまでもありません。

どのような介入が良いかと言えば、それはたくさんありますが、たとえば未来側から情報処理を行えるようにするということがあります。

より抽象度の高いところから処理をするような介入をすると言い換えてもいいかもしません。

いずれにせよ、差別意識も人間の認知現象であるので、コーチとしてできることはたくさんあるはずです。

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