人間は、現代認知科学でいうところのフレームに基づいて認識をします。
心理学ではゲシュタルトと言ったりもしますね。
外部環境とフィードバックをとりながら、ダイナミックにフレームが選択され、かつフレームによって認識が生まれ、それがまたさらにあるフレームを呼び出すといったプロセスが脳で生成される。
これが認識の際に起こることです。
さて、学校教育の話ですが、これは極めて不自然なシステムと言わざるを得ません。
先にあげたような認識の仕組みを最大活用するような形ではなく、カリキュラムの単調的な整合性と、マネジメント側の都合、あるいはもう少し大きな絵で言えば社会の側が暗黙のうちに要求する都合のいい人材を大量に養成するような形になっています。
このルーツは、産業革命時における大量の労働者のニーズや、さらに言えば家畜の管理などにあるのですが、それは置いておきましょう。
さて、フレームですが、フレームに基づいて認識されるということは、そのフレームによって認識されるものが制限されるということです。
その制限の結果、見えなくなったものをスコトマ(認知的盲点)と言います。
何かを学習する際に最も重要なのは、スコトマのマネジメントです。
なぜなら、学習とは新しい知識を獲得することであり、それは新しいものであるはずであり、それは当然スコトマとなっているはずだからです。
この視点がなければ、学習をしているつもりであっても、すでに見えているものを繰り返しなぞっているだけになってしまいます。
よって、学習を効率的に行うために必要なのは、フレームを上手に扱うことであるとわかるでしょう。